そのレストランに入ったのはまったくの偶然だった
雨が上がった後その土地では珍しく茜色に染まった空に誘われホテルを出た私は
たまたま通りかかった街角のショーウインドーに美しい鮮魚が並べられているの
に心魅かれ思わず立ち止まった
そこには小さくフィッシュレストランと書いてある
長旅の疲れと毎日のこってりとしたソースや油に多少食傷気味で かといって海外での和食を
特に有難いとも思わない私はその何気無いたたずまいに思わずドアを開けて入ってしまった

四人がけのテーブルが6つくらいの程よい空間に
白いテーブルクロス 黄色のチューリップ 簡素だが清潔な雰囲気が漂っている
中年の女主人が出てきてどのテーブルが良いのかと身振りで聞いてくる
フランス語に自信のない私は心の中で魚の前の席が良いのだけれど
かといって一人で四人分のテーブルを占領する勇気もなく戸惑っていると
まるで私の心を見透かしたように女主人は魚の前の席に私を案内し
ここで良いかと目で問いかけてくる  私は勿論と大きくうなずき席に座る

驚いた事に魚のカウンターの前だというのに魚臭が無い
海外では魚は獲った後の始末 血抜きや下処理の仕方が悪くどうしても
生臭さがついてしまうと聞かされていたが 魚はどれもみずみずしく
鯛  鮃 車エビ 帆立貝 金目鯛 まぐろ 
まるで日本の寿司やのように いや 切り身になって無いぶん寿司屋以上にきれいに並んでいる

海老を二本 帆立てを3個 タルタルソースを別皿に
全てただ焼いて欲しいと頼み それに野菜のスープを追加する  飲み物は水

最初にパンがでてくる 今度は少し肥りぎみの初老の亭主が運んできて熱いから気を付けてと身振りで言う
焼き立てなのか香ばしい薫りと湯気が口の中に広がる
昔住んでいたパリで毎朝 角のパン屋に焼き立てのパンを買いに行ったあのパンの味だ
次にサラダ  トマトは昔子供の頃に食べたあの味だ
野菜の一つ一つの味が濃くにんじんも子供のころ嫌いだったあの味だ
スープが出てくる  人参たまねぎブロッコリーがたっぷり詰まっている塩味のあっさりしたスープだ
中の野菜も一つ一つ味が引き立っている  野菜の香が口の中で初めて調和する

女主人が少しはなれたところに立ち 心配そうに味はどうかと目で聞いている
素晴しいと言うと 嬉しそうに おおきなボウルを持ってきてお代りを注ごうとする
少しだけと言って 今度はゆっくりともう一度味わってみる
70才位の小柄な老人がキッチンから出てきて ショウウインドーの中の魚を吟味し
海老と帆立てをざるにいれて恥ずかしそうな顔でこれで良いかと聞いてくる 
丁寧なその扱いに なによりもざるの上の材料達が誇らしげに私の顔をみている

暫くしてメインデイッシュが運ばれてくる  タルタルソースには蟹の味噌が入っていて香ばしい
魚は先ほどの老人に調理されたことが大変な幸せだったという味がする
つけあわせの蒸しポテトがざるに入れられてやってくる 少量をとって口にいれてみる
しあわせなポテトのかおりが口一杯に広がる 北海道の広さよりもっと広い味がする

いままでここで食べた食材の全てが自然で素朴で そして扱う人の手の優しさが
其の食材をこの場所で生育させ そして人の口に食されることが幸せなのだという味を生む
祖父である老人のクック  ソムリエ兼ウエイターの亭主  そして女主人
どの人も優しくそして少し恥ずかしげで 控えめで 客の心を気遣い 心を込めてもてなす
そんな心を感じている材料達だけが 誇り高く 調理される喜びを味として表現している
パリの有名店や日本のタレントクックの経営するレストランの押し付けがましさと
慇懃無礼さとは無縁の良質が二ーチェが名付けた知的誠実さがここにはある

勘定を済ませチップを置き店をでようとすると
女主人が恥ずかしげに チップはいらないからと返してきた
そしてまたきてくれと店の名刺をわたしてくれた

気がついたら店は満員 でもどの客も大声でしゃべるかわりに店で働く人々の静
かな動きを目で追い
その無駄の無い動きを そのまなざしを その恥ずかしげな笑顔をあじわっているようだった
開店は夕方5時 閉店は明け方4時  美味しいと言うと恥ずかしげな
そして幸せそうな笑顔がステキだった