20世紀の終わりに ニューヨークのソーホーやチェルシーが熱い視線を集めている
コンクリートやアスファルトで 閉じ込めたはずの19世紀が
100年の歳月を経て崩れたコンクリートの間から現出し
人々はそれを新鮮なものとして歓迎を持って受け入れている

モダニズムの名のもとに 私達が捨てたものが
21世紀を目前とした今 単なる懐古趣味ではなく 新たな選択の対象となっている驚き
生産性 合理性 利潤の追求 それを後押しする科学の発達 数値だけで判断される価値
数値に合わないものは簡単に捨て去られた世紀  自然さえも封じ込めた 豊かさのイリュージョン

20世紀  ニューヨークのように さまざまな欲求と物声とが入り乱れている
この雑踏の中を生きることは 私にとっては ひとつの憂鬱な幸福である

いかに多くの享楽 憔悴 欲望が いかに多くの渇えた生と 生の陶酔が
あらゆる瞬間において ここには出現する  それは多分東京とても同じであろうが
碁盤の目のように極めてシンプルなこの街の構成が それらをより引き立たせ 見え易くする

人々は幻想と知りつつも 金を 物を 追い求め 幻影と知りつつも その役割を演じている
世界中の富と財宝をかき集め そして多くはその先に何も無いと知りながら 最先端の欲望を創り出す

違いはたった一つ  そこには暖かい眼差しがある
その先を知っている暖かい眼差しが   憂鬱な幸福を お互いが認めている眼差しが

21世紀  私達は何を求め 何を捨て 何を創り出して行くのだろう
世紀を超えることの出来る 幸運な私達  この世界の 創作者である私達は